2003年4月 大須で一花咲かせたい!の巻
4月16日・17日(1日目)
今日は大須地区での祭典です。
ここの地区の祭はかなり盛大です。地区民全てが楽しみにしていて、特に神輿に関してはかなりの誇りをもっています。
担ぎ方、神輿のたすきの掛け方、納め方、どれをとってもなかなかのものです。どれくらい楽しみにしているかをあらわす事例として、新年のカレンダーが届くと特に男たちは旧暦の3月15日がいつかを探すといわれているほど楽しみなようですし、私自身もその中の一人です。この神輿そのものも軽く見積もっても100年以上前のものらしいのですが(詳しくは忘れましたが明治時代以前であるのはたしかです。)かなり荒い担ぎ方をしていてもいまだにその形状をとどめているのは浜の男たちの心意気と担ぐ技術の高さのあらわれだと思っています。(なかなか面白いエピソードがあるので、その内特集を組みたいと思っています。)製造元はたしか浅草の職人だったと記憶しています。
さてさて、その楽しみな祭に私は地元神楽師として今年も無事参加することができました。
神楽師になってからは神輿を担ぐのは遠慮していますが、笛吹として参加しています。それは、私自身が大須地区の神輿渡御の音色には小さい頃よりこだわりとあこがれがあったからです。
私の地元の親戚に神楽師がいます。今は病気を患い床に伏していますが、その人たちが神輿渡御の笛を吹いており、いつもはいい加減なじいさまなのですが、神楽(神事も含む)と渡御の笛に関しては絶対の人であり、その凛とした姿はとてもカッコよくて日頃とのギャップに同じ人とは思えないほどでした。実は神楽を習おうと一念発起したきっかけも彼が病の床に伏したことが一番大きかったのです。そんな訳でそのおじいさんが吹いた笛を内緒で録音したテープを基に耳で音をひろい、笛の構え方も同じ左向きに矯正し、次元は違うけどそれっぽく吹けるようになったことをきっかけとして、いつかは並ぼうと思い笛吹きとしてこだわりをもって参加しているのでした。
そんなこんなで渡御のはじまりまじまり・・・大須の祭が旧暦3月15日で今なお新暦に変えないのは訳があります。神事を守ることはもとより、潮の満ち引きにも関係しているからなのです。大須の祭は神輿を渡御する際に必ず立ち寄る島があります。そこで鎮座し、獅子舞を奉納するのですが、太陰暦で行っているからこそ干潮にあたりその島へ渡ることができるのです。そのような地球の不思議を体験できることもなんとなく神がかりでうれしい一コマなのです。
神輿は島からの帰りに海につかります。身を清める儀式らしいのですが、ここでも決まりがあります。どんなに威勢良く海に入ってもけして神輿は水に浸けないのです。荒くれの祭のわりには皆これは守ります。見せ場の一つです。
ぐるりと地区をまわりますが、残念なことが一つだけあります。それは少子高齢化および地区外への就職で神輿を担ぎとおすことができずに車に積み地区を回るようになったことです。このようにになってすでに20年位になるでしょうか。誇り高き大須の出身者よ祭には何とかかえってきてほしいものです。
あれ?神楽のサイトなはずなのに神輿話題だけになってしまいました。・・・・・まぁよしとしてください。
さていよいよ神楽の話題です。
お昼近くに神輿に渡御の午前の部を終え神楽奉納です。新米神楽師の私は小学生の神楽奉納のあとすぐに舞います。
演目は「岩戸開」です。ちなみに「岩戸開」は天津神国津神(二役を一人で舞うことが多いが正式に二人)、手力男、知慶、天小屋根命(知慶の早変わりで正式にはそれぞれ一人づつ)天ウズメの命スサノウノミコトで構成され天の岩戸伝説を舞っています。
今回は天津神国津神の役です。・・・・・無事舞えてよかったです。
続いて、「五矢」です。スサノウとコンテイの舞です。情けは人の為ならずを舞った神楽で、個人的に大好きな神楽です。
先生クラスの方が舞ったのですが、そのカンナギ(セリフ)に泣けてきました。騒然としている舞台下がそのカンナギの意味を知ろうと聞き耳をたてているのです。正に「魅せる神楽」です。派手な動作は一切ないし、難しい所作のないのですがみんなに伝わっていると実感できるすばらしい舞でした。
続いて奉納したのは「魔王」でした。当然魔王役です。雄勝法印神楽の魔王は道化的要素を非常に含んでいます。魔王は3人で、道化囃子にのって舞台へでます。ちなみに道化舞としてはなかなか難しいです。150センチ位の竹を使い3人で組み神楽を舞う訳なのですが、これが非常に難しいのです。文章では表現不可なので是非みなさんに見ていただきたいと思っています。
次の演目は「鬼門」別名は綱切舞いと呼ばれ、鬼門の方角から張った綱を切り落とす舞です。今回は兄弟子に当たる先輩が舞いました。とても上手でした。唯一この演目だけは真剣を使用します。来年こそは習得して自分で舞ってみたいです。
さて、1日目納めは「日本武尊」でした。いつもは、この地区出身の先生が舞うのですが、残念ながら入院中とのことで、隣接地区の町の方が舞いました。
これで何とか1日目が終わり一応安心したのでした。・・・・・・・・(2日目に続く)