2006年10月1日 神楽大祭は鬼門で!!巻(前編)


 Y「今年は神楽大会は都合いいかい?」
 すべてはこの電話からはじまりました。
 私「10月1日ですよね。大丈夫ですよ。」っと返事をしました。
 Y「んじゃ今回ヨロシク!!」
 私「へっ!!!」「わかりました。」(この段階で演目は知らないのです。)
 私「ところで、皆さんの都合は?」
 Y(あーでもない。こーでもない。つまりは若者おいらだけで・・・)
 私「あのー演目は?」
 Y「鬼門だってから。」
 私「・・・・」冷や汗タラリ

 かくして、私の一人舞台が決定したのでした。演目は鬼門。
 私は、すべて冗談であると思い、にわかには信じられないでいました。雄勝法印神楽の中で鬼門は、通常は習い始めて10年を過ぎて、いわゆるベテランになってから、はじめて公の場で舞うことを許されるものなのです。基本所作の醸成をベースに複雑な寅踏みが入り、この神楽でしか披露しない動きが沢山あります。往古は厳重な荒行を終えた法印のみ許された舞だったようで、そんな高度なものをこの私が舞って良いのだろうかというとまどいがありました。
 ちなみに舞いきる自信など当然なく、断ろうかとも思いました。しかし、今回のチャンスを逃した場合、次のチャンスは3年後か5年後か、そもそも(チャンスが)あるのかないのかすらわかりません。そういった状況のなか、芸を極めたい一心から迷いを断ち切り、この舞に挑戦する決心をしたのです。

 地元でも好まれるこの舞は、地舞と荒型舞(綱切舞)の2部から構成され、一切省略しなかった場合は45分〜1時間を要する舞です。一人舞なので、つまりは、休憩なしでずーと舞っている体力的にも厳しいものなのです。しかも、後半に一番の見せ場として綱を真剣で切る場面があり、日頃の生活でそんな物騒なものを振り回す機会などある訳がなく精神的にも強さを要求されるのです。

 今回は30分の構成なので多少の省略はありますが、その稽古たるや尋常ではありませんでした。はじめの数回は基本の習得です。流れを覚えた後は寅踏みの正しい踏み方、所作の連結を重点的に行いました。高校時代まで体育会系の部活に所属していたので、体力には自信があったのですが、面をつけない稽古でもへばる程のものでした。今まで、なあなあでやり過ごして頂いていた部分も多々あり、修正にも時間がかかり、休憩中も軽口をたたく余裕すらなくなっていました。綱がかり稽古に入ってからは、魅せる難しさや事の運び方、方位方角、太刀運び等々難解なことばかりで、寝ても起きても仕事をしてても頭から離れなくなり、日常の生活でも口数が減りまわりの方々に心配をかけてしまいました。「ん〜まぁいいだろう」の声を頂けたのは本番前の稽古でやっとのことでした。

 思うようにことが運ばすへこんでいる様を一人の先輩が気に掛けてくれたようで、軽く中間反省会を二人ですることになりました。
 反省会とは名ばかりで、ここでも所作の修正がメインとなり、「へたくそ」「覚えが悪い」等々厳しい指摘を受け永遠とうんちくを伺いました。
 そんな中、初めて救われる一言をその方は言ってくれたのです。「でもな、○○君。鬼門は君の先輩で、一番年が近い人で誰が舞えると思う?××君だべ!!今、完成型にならないのは当然だから、現実出来ないことを当然のこととして受け止め厳しいアドバイスがある数年の内に極めたらいいと思う」といってくれたのでした。一番年が近い先輩で鬼門を舞えるのは、何と自分より19歳も先輩なのです。その事実に気づかず、一丁前になった気で(自分が出来ないのはおかしい)と思いこむ事が舞を萎縮させていた様な気がしてきたのでした。
 きっかけはほんの些細な事だが、それに気づくのは本当に大変ですよ。トホホ

(後編に続く・・・)

 









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